一期一会

先日、長野県上田市の無言館(戦没画学生慰霊美術館)に行った話を書きました。

その時に、美術館の近くに前山寺(ぜんざんじ)というお寺がありました。

このようなお寺があることは私は全く知らなかったのですが、この佇まい・・・・。
もちろん、お参りしてきました。

写真は撮りませんでしたが、参道に、以下の言葉が刻まれた石碑がありました。

「与えた恩は水に流し、受けた恩は石に刻め」

・・・ハッとしますね・・・。
この石碑に出会えただけで、すでにこのお寺に来た意味があります。

何とも立派なお寺でした。
地元ではきっと知らない人はいない、有名なお寺なのかと思います。

人もほとんどおらず。。。贅沢です。

そして、境内を散策していると、

くるみおはぎ!

誘われるままに、くるみおはぎの元へ。。。

素敵な池を脇に通り、

通されたお部屋が、冒頭の写真です。

 

掛け軸は「一期一会」。

「一期一会」という言葉は、いまでは一生に一度という意味でいろいろな場面で使われますが、実は、千利休の教えがもとになった言葉です。

利休の高弟山上宗二が書いた「山上宗二記」に次のような記述があります。

第一、朝夕寄合いの間なりとも、道具の開き、または口切りの儀は申すに及ばず、常の茶の湯なりとも、路地へはいるから立つまで、一期に一度の参会の様に、亭主をしっして威づ(おづ)べきとなり

親しい間柄であっても、道具の披露の茶会や口切りの茶会のような特別な茶会はもちろん、ふだんの茶会であっても、路地へ入ってから最後に退出するまで、この茶会は一生に一度のものであると心得て亭主の心を敬うべきである、というのです。

戦国時代のような、明日の命をも知れぬ時代には、今日という一日に対して、今の私たちよりもずっと、かけがえのない一日と感じていたのかも知れません。利休が一会の茶会、一会の出会いにどのような思いを込めていたのか、この一文から窺い知ることができます。

そしてこの「一期に一度の参会の様に」という言葉を元にして、幕末の大老で茶の湯にも造詣が深かった井伊直弼が「一期一会」という言葉を残しました。

井伊直弼の著書「茶湯一会集」の冒頭にこのようにあります。

何度同じ亭主と客が茶会で交わったとしても、こんにちこの日の茶会というのは、もう二度とないのである。そういうことを心に留めて一世に一度の会だと思いなさい。であるから、主人の方は万事に心を配っていささかも粗末なきよう、心を込めて準備をする。客の方もこの会は二度とないものだと思って、そうした亭主の趣向、心入れとに敬意を持って臨むように。これが一期一会というものである。

「一期一会」は、お茶の精神をあらわすもっとも重要なことばの一つと言えるでしょう。

さて、くるみおはぎが来ましたよ。

何とも美味なこと!

くるみソースにおはぎを絡ませて食べるのですね。

くるみおはぎが美味しいこともさることながら、この時、私以外には誰もおらず、
何とこの景色を独り占め・・・

本当に、一生に一度あるかないかの贅沢な時間だったのかも知れません。感謝。

 

 

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