残心(ざんしん)という言葉があります。
剣道や弓道、空手など、武道においてよく聞く言葉だと思います。
勝負が決まった後も、油断をせずに、相手の反撃に備えていつでも対応できるように、身構え・心構えを忘れてはいけないという心のあり方のことかと思います。
剣道では、「残心あること」が、試合においては「有効な一打」として認められるべき条件(審判規則)になっていると聞いたこともあります。
試合が終わっても、「やった〜!」と飛び跳ねて喜ぶのではなく、緊張感を維持したまま、静謐な態度を堅持することが、武道において求められる共通の心構え・身構えということでしょうか。
さて、茶道においても「残心」という言葉があります。
ただ、茶道は武道ではないですし、茶道における「残心」はまた少し違った意味があります。
千利休の師である武野紹鴎(たけの じょうおう)の教えで、
「なにしても 道具置きつけ 帰る手は 恋しき人に 別るると知れ」
というものがあります。
茶道具の扱いは、一つひとつ、慎重に、大切に。
道具を置いたその手は、恋しい人との別れを惜しむが如く、心をそこに残しなさい、という意味です。
私もかつて師匠によく注意されました。そんな台所仕事みたいに道具を扱うなと(苦笑)。
気持ちが入っていれば、それが所作にあらわれ、ひいては点前中に漂う空気感も変わってきます。
茶道における「残心」の使われ方には、他にもあります。
亭主は、茶会を催す時、一期一会の精神で、誠心誠意客をもてなします。
道具や茶室の設え、食事がある場合にはその内容はもちろん、適切なタイミングで品を出すこと等、すべてに心を尽くします。
そして、茶会が終わり、客を見送った後、亭主は一人茶室に戻り、一服のお茶をいただいて今日の茶会を振り返ります。
粗相はなかったか、自分は十分なもてなしをすることができたか、客に思いを馳せながら、客と共有したかけがえのない時間に感謝し、消えゆく今しがたの感興に少し心を戻してみるのです。
この瞬時の興が茶道における「残心」です。
この感覚は、子供の頃、楽しいお祭りが終わった後に味わう少し寂しい感覚、あるいは、気心の知れた友人たちと楽しい時間を過ごした後の余韻など、誰もが感じたことのある感覚にも通ずるものだと思います。
移ろう時は順番に消えてゆくものだけれど、ただ、だからこそ、即今の情緒が漂い、人はその深い味わいを感じることができるのです。
未練や執着とも違います。
残心。なんとも美しい言葉です。