能登半島は、「輪島塗」で有名な、漆工芸の産地です。
日本では、縄文時代にはすでに独自のうるし文化が存在していたことが、数々の出土品から知られているそうです。
うるしは、その実用性とともに、装飾性が高いことから、日常的に使われる食器などはもちろん、世界に誇れる日本の美術品としても発展してきました。
漆器の表面に、金や銀の粉を撒くことで装飾する蒔絵(まきえ)の技法は、奈良時代に生まれ、平安時代以来、まさに日本的美意識が表現される工芸品の代表格として、その歴史と技法が受け継がれてきました。
茶道でも、抹茶を入れる茶器に、この蒔絵の技法を使った漆芸品(しつげいひん)がよく使われます。
その装飾は、自然の風物や、伝統紋様、古く和歌の世界で何度も詠まれてきた歌枕などがモチーフとなっています。
上の写真は、「秋草棗」といわれる茶器ですが、千利休が所持していたものの一つにこの秋草棗があったと言われ、同じモチーフで作られたこの茶器は「写し」ということになります。
この「写し」文化は、日本独特のもので(たぶん)、お茶の世界では、茶器だけでなく、茶碗などのほか、ほぼすべての道具において「写し」が存在します。
作家個人のオリジナリティは後回しにして、数百年前から脈々と、同じモチーフで何人もの作家が作品を作り続けているのです。
日本人は、こうした「写し」の工芸品を、鑑賞したり、使ったりすることで、その歴史を知り、背景に流れるストーリーや美意識に共鳴してきました。
(このスタイルこそが、「日本的なるもの」であり、茶の湯の世界、かもしれません。)
そして、蒔絵が施された漆芸品は、このような日本美術・日本工芸史において中心的な役割を担ってきた工芸品なのです。
今回の震災では、多くの工芸作家さんたちも被災されています。
時間や労力、情熱を注いできた大切な作品が、一瞬にしてなくなってしまったら、さらには工房までなくなってしまったら、どれほどの虚無感に襲われるでしょうか。。。
伝統工芸の技術は、一朝一夕に継承されるものではありません。一度途絶えてしまうと、再度復活させるのは非常に難しいことが想像できます。
もっとも、地震後間も無く、絶望感から立ち上がり、家業を復興させようとする活動、それを支援する多数の人たちの存在が、ニュースでも報道されるようになってきました。ひと筋の光が差してきたような気持ちです。
日本は、こうした震災を何度も乗り越えて、今に続く素晴らしい文化を継承してきました。
今回もまた、そうあることを信じていきたいと思います。
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