松平不昧

先日、島根県立美術館で開催されている「没後200年 大名茶人・松平不昧」展に行ってきました。

写真は、宍道湖に沈む夕日です。
島根県立美術館は、まさに宍道湖のそばにあり、この夕日が見られるように、一年を通じて日没後まで開館しています。

この日は天気がよく、素晴らしい夕焼けでした。

 

さて、松平不昧(まつだいら ふまい)とは、第七代松江藩主の松平治郷(はるさと(1751~1818年))のことで、大名茶人として名高い方ですね。

17歳で父のあとを継ぎ、当時財政難だった松江藩を立て直したことで有名です。

家老の朝日茂保と共に藩政改革に乗り出し、積極的な農業政策の他に治水工事を行い、木綿朝鮮人参などの商品価値の高い特産品を栽培することで財政再建を試みた。しかしその反面で厳しい政策が行なわれ、それまでの借金を全て棒引き、藩札の使用禁止、厳しい倹約令、村役人などの特権行使の停止、年貢の徴収を四公六民から七公三民にするなどとした。これらの倹約、引き締め政策を踏まえ、安永7年(1778年)に井上恵助による防砂林事業が完成、天明5年(1785年)の清原太兵衛による佐陀川の治水事業も完了し、これらの政策で藩の財政改革は成功した。(ウィキペディアより抜粋)

四公六民から七公三民とは・・・。市井の人たちは相当に厳しい生活を強いられたのでしょう。。。

さて、茶人としての不昧について。

不昧は、財政改革の余力をもって、茶器を大収集したと言われていますが、自身が収集した540点あまりの名物道具の品名、付属品、伝来、入手年次、入手先、値段などを記載した蔵帳を作りました。

これは、「雲州蔵帳」あるいは「雲州名物帳」とも称されています。
今回の展覧会でも、その一部が出品されていました。

 

不昧は、禅学を熱心に学び、利休の茶に回帰することを唱え、茶禅一味(ちゃぜんいちみ・さぜんいちみ)を極めたと言われています。

茶禅一味とは、茶道と禅が、その境地とするところが一致しているということ、一味であるということ、を言います。

茶道には、社交的な儀礼や、芸術といった側面もありますが、茶道という修行を通じた人間形成という側面が大きくあります。
そして、禅の心とは、何事にもとらわれないシンプルな心、というような言われ方をされます。
つまり、常に調えられたシンプルな心をもつ人間が、茶道と禅の共通して目指す理想の人間像であり、それが「茶禅一味」と言われる理由なのかと思います。

・・と言っても、その本当の意味を私自身が体得しているとはまだまだ言えません。

ただ、茶道具や茶人について学んでいくにあたり、これは名品だとか、この人は有名な茶人だとか、表面的な知識だけでは面白くもありません。

茶道の歴史や、このような根底に流れる思想を理解していくことが面白いのであり、またそうして、少しずつ物事の本質が見えてくるようになるのかな(なればいいな)と考えています。

島根県立美術館ホームページ

 

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