京都祇園四条にある何必館・京都現代美術館の「北大路魯山人展−和の美を問う−」に行ってきました。
何必館は「かひつかん」と読みます。
魯山人といえば、書家であり、篆刻家であり、陶芸家であり、画人であり、そして料理人でもあるという、もう、どうしたらそんな風になれるのかしらと凡人には憧れしかないですが、言わずと知れた天才アーティストですよね。
そんな天才アート作品とはいえ、魯山人の作品は、どれも日常生活の中に無造作に入り込んでくるような「楽しさ」があるような気がします。そして、それが何よりの魅力なんだろうなと思います。
さて、魯山人は、師を持たずに独歩でその芸術の道を歩んだことでも知られますが、自然を芸術の極致、美の最高とし、何百年、何千年の歴史の中で昔の人が残してきた美術品から学ぶことを若い人たちにも奨励しました。
美しいものは時代を超えて、斬新であり、美しい。。。
そして、自分の生活の身近なところに良いものを置くことで、常に審美眼が養われ、生活が豊かになる、つまり周囲のものから大いに学ぶことができるのだという姿勢をもっていました。
このような姿勢を「坐辺師友(ざへんしゆう)」と言います。
優れた物や人に囲まれることで、その心を学ぶことができる、すべてが自分の師となり友となる、ということです。
魯山人は、美に対して徹底的に高い眼識を求め続けたからこそ、圧倒的な作品を数多く残してきたわけですが、魯山人にとって、審美眼の有無は他人に対する評価にも直結していました。
美に対する飽くなき追求・思想は、強烈な批評精神に転化され、柳宗悦や横山大観なども容赦なく批判する姿勢は、毒のある傲岸不遜な人として評価される所以でした。
こういう人、個人的にはとても好きですが。ふふ。
ところで、何必館には茶室もあります。ビルの5階にに上がりますと、このような吹き抜けのお庭があり、その奥に茶室が見えます。
こちらが茶室です。
素敵です。。
魯山人は、茶道をして「美的趣味総合大学」と喝破したといいます。
この意味について、何必館の館長である梶川芳友氏の著書を引用させていただきます。
茶室の中で行われることは、いわゆる点前作法に代表される形式の発表ではなく、もっと闊達な創造的精神を養うことである。魯山人は茶道をして「美的趣味総合大学」と喝破したが、美の発見の場、美の創造の場としての茶室であり、その時空に展開されることは、本来、主客の精神を賭けた美の交感であろう。
(「魯山人への手紙」梶川芳友著)
そう、そうなんです。さすが、上手いこと言わはります・・・。
(もちろん、私がそんな域に達していないことはさておき)茶道は亭主が客に一方的におもてなしをすることが全てなのではなく、客も亭主に応える審美眼や想像力、コミュニケーション能力が必要とされるところに難しさと面白さがあるのです。
ですから、茶道を極めるなんてそうそうできないことで、茶道は一生続く修行であり、生き方にも深く関わる文化なんだろうと思います。