法然院 月釜

先日、法然院の月釜に行ってきました。

月釜とは、茶室のあるお寺などで、毎月決まった日(例えば利休の月命日)に行われる茶会のことで、一般に解放されるものもあれば、そうでないものもあります。

お寺の方が茶会を催すわけではなく、お寺が場所を貸して、どこかの先生が席を持つのが普通です。

法然院(正確には、隣の金毛院)の月釜は、一般に解放されていて、「臨時会員」として誰でも参加できます。
(ただし、月によっては、会員しか参加できない月もあるかも知れないので、事前に確認される方が良いです。)

月釜は、入り口に「在釜(ざいふ)」という案内が貼ってあるときもあります。
「在釜」とは、「今ここで釜をかけています。どなたでも、お茶をお召し上がりください。」というような意味です。

茶室に続く路地です。美しいですね。

手入れの行き届いた美しいお庭が眺められる、こじんまりとた茶室で一服いただきました。
私が行った時は、裏千家の先生が釜をかけておられましたが、着物姿も美しい、お綺麗な方でした。

 

ところで、法然上人(1133~1212年)といえば、浄土宗の開祖ですが、「どんな人間でも『南無阿弥陀佛』と唱えれば、一切の生きとし生けるものを仏にならしめる阿弥陀佛の本願の力(約束)によって極楽浄土に往生できる」と教えられたと言います。
だから「南無阿弥陀仏と唱えて生きなさい」と。

煩悩の塊である人間を救うために、このような教えがあるのでしょうか。。。

とりあえず「ナムアミダブツ」と唱えていればいいのでしょうか。。。でも、それも簡単そうで簡単でない気がします。。。

・・・う〜ん、私にはまだまだ理解の及ばない世界のようです。

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