出典:郵政博物館蔵 版画 水野年方作 1892年
先日、ある茶道具屋の展示会に行ってきました。
場所はとあるホテルで、ホテル内にある茶室で一服ふるまっていただけるのですが、いつも粋な取り合わせで名品を見せて下さいます。
この時の待合の掛け軸が「懸想文(けそうぶみ)」の画でしたので、今日はこのことについて少し書きたいと思います。
「懸想文」とは、恋文すなわちラブレターのことです。この絵の人は、いわゆる「懸想文売り」で、江戸時代によく見られたそうです。
当時はもちろん電話もインターネットありません。好きな人に思いを伝える主な手段は手紙、でした。
そして、思いを伝えるその文章は、古文や和歌の素養にあふれ、美しい字で書かれたものが好まれました。(そもそも、昔は、相手に会うよりもまず、こうした手紙で相手を好きになるかどうかが決まったのです!)
しかし、誰もがそのような教養を持ち合わせていたわけではありません。そこで、字が書けて和歌の教養もあるけれど、生活が必ずしも豊かでない下級公家の人たちが、このような手紙の代筆業をするようになり、「懸想文売り」というものが生まれたらしいです。
もっとも、公家であるという自分の身分を明かすことはプライドが許さなかったのでしょう。懸想文売りは、絵にあるように顔を布で覆い隠していました。
一般に、懸想文売りの絵は、梅の枝を担いでいるものが多いようで、新春の時期の庶民の風物詩と言われている向きもあるようです。もっとも、恋文の代筆であれば、桜の季節なら桜の枝、紅葉の季節なら紅葉の枝と、その時期のものに、懸想文はぶら下げられて売られていたのではと想像します。
そして、手紙と一緒にその枝や花の一部も相手に届けられたのではないでしょうか。
・・・ステキですねぇ。
ところで、この懸想文ですが、今でも京都の須賀神社で、節分の時期にお守りとして売られているそうです。なんと、この時期のみ懸想文売りが出没するとか。
中にはちゃんと、(もちろん恋心に関する)和歌が書かれているみたいですよ。
この懸想文のお守りを、タンスや引き出しの中に人に知られないようにしまっておくと、顔かたちが良くなり、着物が増えて、良縁に恵まれる・・・・ということです!