いい映画を観てすごく感動したりすると、しばらくその内容を回顧してしみじみ妄想するので、よく帰り道の電車を乗り間違えたりする私なのですが(別に映画見なくても、普段からよく間違えているという話もありますが)、
久しぶりに映画館に足を運び、案の定、乗り換え駅を乗り過ごして、無駄に遠回りして帰ることになったその日に見たドキュメンタリー映画が、
です。
昔、銀座でOLをしていた頃は(←別に気取っているわけではない)、毎週のように映画館に足を運んでいた私ですが(基本、ミニシアター系)、ここ数年はめっきり映画チェックすらしていませんでした。
なのですが、たまたま先日、萩焼作家・坂倉新兵衛さん(映画にも少し登場されています)のSNSで紹介されていたのに気づいて、「これは観たい!」と久しぶりに映画館・ポレポレ東中野に。
あ〜、行って良かった。。。。(しみじみ・・)
話は、鹿児島・薩摩焼の陶芸家・15代沈壽官(ちん じゅかん)さんのインタビューを中心に進んでいきます。
「15代」とはすごいですね。400年以上もの歴史です。
薩摩焼をはじめ、萩焼や高取焼、有田焼、上野焼など、山口や福岡の焼き物のほとんどは、そのルーツが朝鮮にあります。
歴史は、1591年から1598年にわたって行われた文禄・慶長の役(豊臣秀吉の朝鮮出兵)で、多くの朝鮮人陶工が日本に連行されたことに遡ります。
織田信長の時代から、茶の湯は政治に深く関わりつつあり、茶道具の需要も増大していました。
当時、日本には、朝鮮のような陶芸の技術がなく、九州・山口の諸大名たちは、茶道具をもって中央政権と深く関与したいという意図もあり、自分達の領国にはない技術をもった朝鮮陶工たちを軒並み連れて帰り、日本で窯を作り、作陶させたのです。
強制的に連れて来られた朝鮮の方々の苦悩は計り知れませんが、こうした史実をきっかけに、日本の陶芸技術・窯業の技術も発展していきました。
日本の文化のほとんどは、大陸からやってきて、それが日本でまた独自の発展を遂げながら今に至るものと思いますが、そうした背景を考えれば、国や民族という分類や、どこまで・どこからが日本文化と言えるのか等、疑問も湧いてきます。。。
沈壽官さんのご先祖も、秀吉時代に朝鮮から連れて来られた陶工の一人だったのですが、
ご自身も、自分のアイデンティティについて、ずいぶんと悩んでいたことが映画でも語られています。(「民族とは」「アイデンティティとは」といったことについて、司馬遼太郎が沈さん宛に送った言葉も映画の中で紹介されています。*司馬遼太郎の小説「故郷忘れじがたく候」は、お父様の14代沈壽官さんがモデル。)
映画では、数百年にわたる壮大な歴史の解説をベースにしながら、しかし、やはり、その家の伝統を継承し繋いでいくそれぞれの「個人」に焦点が当てられます。
沈壽官さんの、職人としての想像を超えるストイックさ、「代」を渡し渡される親子間の軋轢、そして民族的アイデンティティの葛藤・・・・。
知らなかったさまざまな史実に驚くとともに、目の前の茶碗ひとつですら、いきなりポンと生まれてきたものではなく、その背後には長い長い時間と多くの人の物語があるのだと感じざるを得ませんでした。
そうして、なんだか胸がいっぱいになり、帰りの電車は乗り間違えた(関係ないか?)、というわけです。
お茶をやっている人もやっていない人も、ぜひ、一人でも多くの人に観てもらいたい映画です。