和敬清寂

「和敬清寂(わけいせいじゃく)」という言葉があります。

一碗のお茶を通して、亭主は心を尽くして客をもてなし、また客の方はそうした亭主の真心に懸命にこたえようとする、こうした、茶の湯における「心持ち」のことをいいます。

亭主による「おもてなし」の精神だけでなく、客もそれに応える器量(客ぶり)も重要であることを説いています。

明確に誰が言い出したのかわかっていないようですが、昔から、茶心を簡潔にいいあらわした言葉として知られています。

具体的に、それぞれの漢字がどういう意味をもちうるのか、以下、表千家14代家元而妙斎の文章より引用して説明させていただきます。

「和敬」というのは、字の如く、主客が仲良く、敬い合うこと、礼儀作法はその心のあらわれです。

また、「清」は、心の美しさ、清らかさを説いていますが、これを具体的な形で表現すると、客室や露地、その他すべてに行き届いた掃除をし、道具類の十分な手入れと物を大切にする心です。

最後の「寂」は、もっとも難しく、わかるようでわからない言葉です。私どもは寂を「侘びの心」というふうにも申しますが、この境地は言葉では容易に説明しがたいものです。

しかし、私どもが”何のためにお茶をするのか”といえば、やはりこの境地を目指しているというべきでしょう。その意味で、お茶はある種の自己修練を求められるものでもありますが、あまり難しいことを言いますと、せっかく楽しいお茶、楽しむためのお茶を求めて稽古を始めた人は、恐れをなしてしまいますから、精神論はこの辺にして、この言葉の歴史的背景に少し触れてみます・・・・(以下略)

「新装 茶の湯随想」(主婦の友社)表千家一四代家元而妙斎著

最後の方は、余計分かりにくかったりして(笑)。

茶道の話は、易々と文字にできない世界です。それぐらい奥深い、だからこそ面白いものなんですよ(^ ^)

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