長次郎作「無一物」 (東京国立博物館 茶の湯展カタログ)
自刃の約一ヶ月前、1591年1月24日、利休は徳川家康一人を招いて茶会をしています。
亭主ひとり、客ひとりの「一客一亭」です。
利休の茶会を記録した「利休百会記」には、利休最後の茶会として、その会が記されています。
「利休百会記」とは、天正18年(1590)8月17日から翌年閏1月24日まで、約百会の利休の茶会がおさめられている。原本は伝わっていないが、江戸時代に何種類かの本が流布した。本書の信憑性については疑問視する意見もあるが、利休最晩年の茶の湯を知るうえで貴重な史料とされている。
表千家ホームページより引用
この会記の信憑性には疑義もあるようですが、今となってはその真偽を確かめようもないので、何百年も伝わってきている史料として、ロマンを感じながら(^ ^)その内容を見てみましょう。
使われた道具や、食事の内容を伺い知ることができます。
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閏正月二十四日朝 家康様一人
四畳半
拝領釜
安国寺水指
茶入大ナツメ
木守ノ茶碗
びぜんつぼ
古渓和尚墨蹟
つちの物に花入
くしあはび みそやき汁
あへもの めし
引て こいのかきあへ
菓子 ふのやき
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道具については、お茶をやっていないと何のことか分からないかも知れませんが、利休と家康が「食したもの」は、なんとなくイメージできるのではないでしょうか。
ちなみに、「拝領釜」というのは、秀吉から与えられた釜のことです。
そして「木守」という茶碗は、楽家初代の長次郎が作ったとされる赤楽茶碗ですが、現存していないと思われます(写しは、もちろんたくさん存在します)。
「墨蹟」は、古渓宗陳(こけいそうちん)筆の、禅語が書かれた掛け軸を意味します。
古渓宗陳和尚は臨済宗の高名な禅僧で、利休参禅の師にあたります。
この茶会のちょうど二日前、あの大徳寺山門問題が浮上し、政治的に利休の身の上が危うくなってきていました。
1ヶ月後には、切腹によって最後を遂げた利休は、この時家康と、どのような会話を交わしたのでしょうか。。。。
また妄想が膨らみます(笑)。
ところで、今度のNHKの大河ドラマは家康を主人公にしたものなんですね。いま家康ブーム?なんでしょうか。
私はテレビを見ないので、世間で流行っていることなどにも大変疎く、この家康ブームに乗っかろうと思ってこの記事を書いているわけでもないのですが、ブームのついでに、茶道文化もまたもっとフォーカスされるようになったらいいなと思います。
この大河ドラマには、利休は登場しそうにないですが。