先日、三井記念美術館の「三井家のおひなさま」展を観に行ってきました。
いやぁ、庶民が想像するのと同じ「おひなさま」と呼ぶのは憚られる、一級工芸品の数々。
やはり「三井家の」おひなさま展、です。
人形や嫁入り道具のミニチュア(?)で、ここまでの芸術作品を作ってしまうのか!と驚嘆しながらも(庶民感覚満載ですね)、人形ひとつひとつの繊細な表情や仕草、人形のまとう豪華で優美な着物や、漆蒔絵のミニチュア家具などなど、見ていて全く飽きない楽しい展覧会でした。
ところで、表千家家元と三井家というのは、実は三百年もの長い関係があります。
千利休のひ孫にあたる、四代家元 江岑(こうしん)の時代(17世紀半ば)から幕末まで、表千家家元は、紀州徳川家に茶堂職として士官していたという歴史があります。
一方、「越後屋」の屋号で呉服店と両替商を営む三井家は、幕府に出入りして大商人となったという背景があり、初代三井高利氏(1694没)の頃から、表千家との縁ができたようだと、家元の書かれた文章にありました。
以来、表千家茶道の愛好家、そして支援者としての三井家があり、両者に三百年もの関係が続いているのです。
ちなみに、徳川幕府八代将軍吉宗は、この紀州徳川藩出身のお殿様ですね。
頼方公(吉宗)が将軍になるまで茶堂を務めていたのは、六代家元 覚々斎で、参勤交代の折には頼方公に随伴していたという記述もどこかで読んだ気がします(曖昧ですみません)。
そして次に、表千家と「徳川家」の関係性というと、利休と家康の時代に遡るので、戦国時代からということになり、これまた長い歴史があります。
秀吉の茶堂役として活躍した千利休は、当然、家康とも親しい交わりがありました。
利休最後の一客一亭の茶会は、切腹の1ヶ月ほど前、家康との朝茶事だったと言われています。
こうなってくるともうスケール感がありすぎで(笑)、ある意味歴史を背負って続いてきた茶道が奥深い面白さを持つのは当然だなと思えてきます。
次回は、利休と家康との最後の一客一亭の茶会について、詳しくご紹介したいと思います。