先日、京都北野天満宮の月釜に行ってきました。
北野天満宮では、(ほぼ)毎月15日に松向軒と明月舎で釜が掛けられており、誰でも参加することができます。
今回は裏千家と武者小路千家の席主による月釜でした。
私は表千家で学んでいますが、時々こうして他流派の茶会にも参加させていただきます。
流儀は違えど、茶室のしつらいはもちろん、主客のやりとりなど、色々と勉強になります。
ところで、北野天満宮といえば、学問の神様として慕われる菅原道真公を祀る、全国の天満宮の総本社ですが、お茶の世界では「北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)」が開かれたことで有名です。
北野大茶湯とは、天正15年(1587年)10月1日、豊臣秀吉が開いた大茶会のことです。
当時、このような高札によって、茶の湯に執心する者は、身分の別なく、外国の人でも誰でも参加するよう呼びかけられたそうで、この茶の湯に参加しなかった者は、今後一切茶の湯らしいことをしてはいけない、とまで書かれているとか。
大茶会当日は、北野の森に800箇所におよぶ茶席が設けられ、参加した人たちは、くじを引いて、一番は秀吉、二番は利休、三番は津田宗及、四番は今井宗久が受け持った茶席でお茶をいただくことができたそうです。
普段お殿様に会うこともない身分の人が、もし一番のくじを引いてしまったらドキドキしそうですね。何か粗相をしたら、さすがに切りつけられることはなくとも、激怒されそうなイメージです。
また、利休はどんな風に人々にお茶をふるまったのでしょうか。お菓子(らしきもの)も振る舞われたのでしょうか。想像が膨らみます。
なお、この大茶会では、拝殿に、あの秀吉自慢の黄金の茶室がしつらえられ、たくさんの名物道具が飾られたそうです。
当時の人たちは、この茶室を見てどんな風に感じたのでしょうか。。。
利休は、この茶会で秀吉の茶堂として、大きな役割を果たしました。
ちなみに、茶堂(さどう)とは、身分の高い人に仕えて茶事を取り仕切る人のことを言います。
北野大茶湯は、政治と茶の湯との結びつきを示す象徴的な出来事であったといえます。
秀吉は、茶の湯は天下人の文化であることを世に知らしめたのでした。
この日は3月半ばとは思えないほど暖かく、北野天満宮では梅が満開でした。
また桜の時期にも京都を訪れたいと思います。