漫画で有名な一休さんは、実在の人物だということを知らない方も多いようですが、室町時代に実在した「禅僧」なんですよね。
こちらが漫画のイメージだと思いますが、
晩年の、実際の一休和尚は、こんな感じの方だったようです。
先日、その一休さんが実際に晩年を過ごしたという「虎丘庵」という建物が特別公開されるとのことで、京都田辺にある酬恩庵(通称一休寺)に、茶道教室の生徒さんたちと行ってきました。
まさに紅葉の盛りでした!
虎丘庵は、一休寺HPのお写真を拝借します。こんな感じです↓
なお、この広間以外に、(一休さんの寝室だったという)3畳間と水屋もありました。
床の間には、今の和尚さんのお筆で「喫茶去」。
椿と紅葉も美しく。。。
一休さんは、6歳で仏門に入門し、13歳にしてすでに漢詩を書くなど、頭脳明晰、禅僧として大変優れた方だったのですが、何事にも安易に迎合せず、反骨精神溢れ、かつ結構遊んでいた(?!)ような禅僧だったらしいです。
この辺の話は、ドナルド・キーンさんの「日本人の美意識」に描かれていますのでご興味ある方はこちらを読んでみてください。
私のイメージでは、一休さんは、教養豊かで人間味のある愛すべき変人、です(^ ^)
そんな一休さんを慕って、わび茶の祖といわれる村田珠光や能楽の金春禅竹など、当時の文化人が集まる文化サロン的な場所が、この虎丘庵だったそうで、何ともロマンを感じます。
そして、村田珠光は、一休さんから禅を学び、茶のこころを学び、その精神性は、武野紹鴎そして千利休へと引き継がれていきます。
また、珠光は「悟りの証」として一休さんから「圜悟の墨蹟」を与えられていますが、これは、茶室に禅僧の墨蹟(筆跡)を掛け軸にしてかけるようになった 、まさにきっかけとなった出来事だと思われます。
*圜悟は、中国の宋の時代の臨済宗僧侶。
(「茶道と禅」の関わりについての記事はこちら)
今回の見学は、今の和尚さんが歴史をレクチャーしてくれ、その後、和尚さんと歓談しながらお抹茶とお菓子をいただけるという、とっても充実した内容でした。
その時、和尚さんが言われていたのですが、親鸞や法然というと、「浄土真宗の」親鸞、「浄土宗の」法然、というイメージが強いですが、一休さんにおいては、「臨済宗の」という枕詞なく、「一休さん」というそのキャラクターだけで、歴史に名を残す僧侶になっている、そんな僧侶は他にいないのでは、と。
まさに、その通りではないでしょうか。
やっぱり、愛すべき変人だったのだと思います(笑)
そういえば、昨年の秋は、一休さんが開祖である大徳寺の真珠庵を訪問しましたが、なんと、一休さんが当時大徳寺に通われる際に使っていたという輿も、一休寺で見ることができました(^ ^)
漫画のイメージが強かった一休さんでしたが、今回の訪問の少し前に、前出のドナルド・キーンさんの本を「たまたま」読んだりと、今年は茶道のルーツとも言える場所に導かれ(?!)、リアルな、実像としての一休さんの魅力に触れることができ、最高の季節に、お弟子さん方々と実に楽しい遠足となりました。
ひとやすみ、ひとやすみ。