京都は北のほう、紫野(むらさきの)という雅な地名のところに、大徳寺という臨済宗の禅寺があります。
大徳寺は、鎌倉時代末期、1315年に宗峰妙超(しゅうほう みょうちょう)という僧が開基(創立)。
室町時代の応仁の乱で荒廃した時には、あの漫画にもなった一休和尚(一休宗純)が、大阪堺の商人たちの協力を得て復興したという歴史もあります。
大徳寺は、茶道ともゆかりが深いお寺で、お茶の世界では紫野といえば大徳寺を意味します。
大徳寺は、広大な敷地の中に、20以上の別院、塔頭で構成されています。
普段は公開していない塔頭も多いですが、公開しているものだけでも見て回るのにそれなりに時間がかかります。
せっかくですので、通年で公開している高桐院(こうとういん)について少しご紹介しましょう。
こちら、高桐院へ続く参道。どの季節に何度行っても素敵です。
高桐院は、肥後藩主細川家の京都菩提所です。
総理大臣も勤めた当代の細川護煕さんは第18代ですが、高桐院は、第3代の細川忠興が叔父の玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)を開祖として、父・細川藤孝(幽斎)の菩提所として1602年に建立しました。
細川忠興は、もちろん有能な武将でありましたが、茶人でもあり、利休高弟の7人、「利休七哲」の一人とされます。
茶人としては細川「三斎」という名で知られています。
さて、高桐院には利休にゆかりのある茶室もあります。
まず、こちらが書院式の茶室、意北軒。
利休のお屋敷にあったものを、玉甫紹琮が、秀吉が利休憎さのあまり利休屋敷を破壊してしまうことを恐れ、高桐院に移築したということです。
書院の茶室というと、大きな床の間で豪華な座敷飾りがあるものをイメージしがちですが、こちらは利休らしく(?)、きらびやかな雰囲気はまったくありません。
こちらは、細川忠興が作った茶室、松向軒。
二畳台目(にじょうだいめ)という、丸畳二畳と、一畳の4分の3の大きさの台目畳からなる茶席です。点前座(てまえざ)が台目畳です。
この写真のように、台目切りの炉のかどから中柱(なかばしら)を立て、袖壁(そでかべ)をつけた点前座のしつらいを「台目構え(だいめかまえ)」といい、利休が創案したものと言われています。
客殿です。このときは、見学時間が終了する間際だったこともあり、人も少なく。なお雰囲気よし。。。
客殿から見える「楓の庭」です。
この他にも、高桐院には、 細川忠興とその愛妻ガラシャ夫人が眠る墓所など、見所がたくさんあります。
通年で見学できる数少ない塔頭の1つであり、とても貴重な文化財ですからお勧めです。
大徳寺は、その長い歴史の中で、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え、数々のドラマが繰り広げられた場所でもあります。
高桐院をはじめ、どの塔頭を巡り、境内のどこを歩いても、どこかしら緊張感と凛とした空気感が感じられるのは、そういった歴史の「気」が流れているからだと思います。